ゴシック・リヴァイヴァル

ゴシック・リヴァイヴァルとは

 一般的に、新古典主義と対概念とされる。

 

キリスト教復活の波に後押しされて、ヴィクトリア朝の最盛期にイギリスで流行し、その後宣教師により世界各地に広がった。18世紀後半にはフランス、ドイツに、その後イタリア、ロシア、アメリカまで波及した。

 

フランス革命期には、多くの中世の教会堂が封建主義のシンボルとして破壊され、ゲルマン系の国はゴシックこそ自分たちのアイデンティティを表現する建築だと考えた。

 

ゲーテやシュレーゲルなど、中世をキリスト教の理想世界とするロマン主義の芸術家が、ゴシック芸術を崇拝し、これが建築に組み込まれていった。

 

 

 

ゴシック・リヴァイヴァルの中心人物

オーガスタス・ピュージン
1812-1852(満40歳)
フランス系 イギリスの建築家

 

近代を否定し、中世のものづくりを理想とした。古典建築は異教徒の様式であり、キリスト教国家の建築はゴシック様式で建てるべきと主張した。

ウエストミンスター宮殿 国会議事堂

ウエストミンスター宮殿 国会議事堂
1844-52 イギリス ロンドン シティ・オブ・ウェストミンスター
設計:チャールズ・バリー、オーガスタス・ピュージン
via wikipedia

 

ゴシック・リヴァイヴァルの傑作であると同時に、イギリスがもっとも繁栄したヴィクトリア王朝期を代表するモニュメント。

 

1834年、ウエストミンスター宮殿は火災に遭いほぼ全てが焼失してしまった。国会議事堂としての機能を果たすことができなくなったため、これをきっかけにイギリス政府はコンペ形式での建て直しを決めた。王立の委員会が設けられ、ゴシックまたは新古典主義のいずれかで建設することを条件とした。

 

工事は急ピッチで進められたが、無理がたたってか、ピュージンは完成を見ないまま40歳の若さで亡くなってしまった。

 

マンチェスター市庁舎
1868-1877 イギリス
設計:アルフレッド・ウォーターハウス
via wikipedia

 

フランス全土の中世建築を修復した男

ヴィオレ・ル・デュク
1814-1879(65歳)
フランスの建築家、建築理論家、修復家

 

中世建築の修復ではゴシック建築の理想を追い求め、ゴシック建築の構造的な合理性が強調された。

 

19Cフランスで、古い建築物を保存するブームがおこった。ピエールフォン城の修復はデュクの代表的な仕事の一つ。創造的な修復をおこなったことから、評価は賛否両論あった。職人に徹することの難しさ。

ピエールフォン城
1407 フランス パリ

via pixabay

 

15世紀建造の要塞であったピエールフォン城は19世紀になってナポレオン3世のために建築家ヴィオレ・ル・デュックによって再建された。 3台の投石機が復元されているほか、彫刻やペイントによる豊富な装飾、はね橋や石落とし、巡回用の小道、こん棒など中世における完全な防御システムを見ることができ、まるで夢のようなスペースだ。

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Lieu:Pierrefonds - Description:CHATEAU DE PIERREFONDS (en Ruines) - Construit en 1390, la restauration fut entreprise en 1858, par Viollet le Duc
Lieu:Pierrefonds - Description:CHATEAU DE PIERREFONDS (en Ruines) - Construit en 1390, la restauration fut entreprise en 1858, par Viollet le Duc

建築様式の研究がすすむにつれて、建築家にとってどの様式を引用するかが主題になり始める。次第に、新古典主義建築、ゴシック・リヴァイヴァルだけでなく、過去の建築様式をミックスさせる、歴史主義、折衷主義があわわれ、様式の多元化が進んでいった。

 

 

 

関連書籍

『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』,酒井 健,筑摩書房,2006

『ゴシック・リヴァイヴァル』,ケネス・クラーク (著), 近藤存志 (翻訳),白水社,2005

『時代精神と建築―近・現代イギリスにおける様式思想の展開』,近藤存志,知泉書館,2007

『ラスキンとヴィオレ・ル・デュク―ゴシック建築評価における英国性とフランス性』,ニコラウス ペヴスナー (著), 鈴木博之 (翻訳),中央公論美術出版,1990