モデルニスモとは
産業革命後、スペインのバルセロナを中心に流行した芸術様式。
曲線など、造形スタイルが似ていることから、カタルーニャ版のアール・ヌーヴォーといわれる。(カタルーニャ州の州都:バルセロナ)
純粋に芸術・文化的なムーブメントである一方、マドリードの中央政府に対して、カタルーニャ独自のアイデンティティを確立しようとする政治的思想もあわせもっていた。
<カタルーニャ地方のアイデンティティ>
カタルーニャ地方には、10〜14世紀頃、地中海の貿易で成功した「カタルーニャ=アラゴン」連合王国として、黄金時代を送った過去の栄光がある。
バルセロナはイベリア半島で唯一、産業革命を達成した地域で、経済的に豊かになるとともに、中世カタルーニャの繁栄を取り戻そうという復権運動が起こった。
民族主義的な感情が高まるなか、産業革命で富を得たブルジョワジーの支援によって、「モデルニスモ」は大流行した。
支援者のひとりが「グエル」氏。
ガウディのパトロン、グエル伯爵
エウゼビ・グエル
1846-1918
スペインの実業家、政治家
グエルは生涯にわたってガウディのパトロンだった。
彼はパリ万国博覧会に出品していたガウディの作品(手袋のショーケース)をみて気に入り、すぐにアプローチした。1878年にはじめて2人は顔を合わせた。そのときガウディは建築物の設計をしたことのない駆け出しの建築家だった。
はじめは内装や家具のデザイン、小さな建築物の設計を依頼したが、出会ってから6年後、本格的に大きな建築物の設計を依頼するようになった。
彼は、労働者の生活環境の改善や田園都市に関心をもっており、「サンタ・コロマ」は労働者のためのコミュニティとして、グエルが考えたもの。
グエル邸 Palau Güel
1887 バルセロナ
設計:アントニ・ガウディ
Photo by Montserrat Baldomà. © Diputació de Barcelona Via Facebook
アントニ・ガウディ
1852-1926
カタルーニャ出身の建築家
サグラダ・ファミリア
1883- スペイン バルセロナ
設計:アントニ・ガウディ
The Passion Facade © Expiatory Temple of the Sagrada Família via archidaily
カサ・ミラ
1910 スペイン バルセロナ
設計:アントニ・ガウディ
via wikipedia
グエル公園
1914 スペイン バルセロナ
設計:アントニ・ガウディ
via wikipedia
コロニア・グエル教会 地下聖堂
1914 スペイン バルセロナ郊外 サンタ・コロマ・ダ・サルバリョ
設計:アントニ・ガウディ
via casabatllo
ドメネク・イ・ムンタネー
1850-1923
バルセロナ出身の建築家
サン・パウ病院 Hospital de Sant Pau
1902-1930 スペイン バルセロナ
設計:ドメネク・イ・ムンタネー
via Sant Pau Recinte
Modernista
ジュゼップ・マリア・ジュジョール
1879-1949
スペイン、カタルーニャ地方出身の建築家
ガウディの協働者。優れた色彩感覚でトレンカディスをデザインした。
ラ・クレウ館(トーラ・ダ・クレウ)通称「卵の家」Torre de la Creu
1913 スペイン バルセロナ サン・ジュアン・ダスピ
設計:ジュゼップ・マリア・ジュジョール
via wikipedia
ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク
1867-1956
バルセロナ出身の建築家、政治家
カーサ・アジア Casa Àsia
1904-1906 バルセロナ
設計:ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク
via wikipedia
関連書籍
『カタルーニャ建築探訪:ガウディと同時代の建築家たち (早稲田大学理工研叢書シリーズ)』,入江 正之 (著), 早稲田大学出版部,2017
『モデルニスモ建築』,ウリオール・ブイガス (著), 稲川 直樹 (翻訳),2011
『バルセロナのガウディ建築案内 (コロナ・ブックス) 』,丹下 敏明(著),2014
コメントをお書きください