ロシア・アヴァンギャルド

ロシア・アヴァンギャルドとは

1917年のロシア革命前後におこった総合的な芸術運動のこと。

伝統からの脱却、革新が思想の根底にある。

<背景>

ロシア革命によって帝政ロシアが崩壊すると、1922年に世界初の社会主義国家がうまれた。

 

激動する時代のなか、芸術家たちは政治と結びつき、多くのプロパガンダ・アートをつくりだす。

 

ムーブメントの波は垣根を超えて各分野に広がっていき、建築家は革命によってうまれた「ユートピア思想」をもとに、理想都市を夢想した。

社会的背景の影響が色濃い芸術運動。

 

 

 

年代順3つのムーブメント

1.「レイヨニスム」

2.「シュプレマティスム」

3.「ロシア構成主義」

ロシア・アヴァンギャルド(構成主義)は、最終的にスターリンに弾圧され、終わりをむかることになる。

 

1933年にソビエト建築アカデミーが創立され、これがスターリン建築時代の幕開けとなった。スターリンは新古典主義の建築を好み、彼が実権を握るようになると「社会主義リアリズム」が台頭する。

 

都市には権威主義的な建物が多く建てられるようになり、時代の流れは前衛から保守的な路線へとうつっていった。

 

 

 

1.レイヨニスム c.1912-14

ラリオーノフらによって、かかれた絵画のスタイル。動きを表現する為に線を使った「未来派」と類似点を持つといわれる。光を描くため、主題は消える。

・光線主義

・線、リズム、色彩の綜合的な表現

・絵画の純粋化→よって光線の交差を描く

「レイヨニスムは、キュビスム、未来派そしてオルフィスムの綜合である」
ラリオノフのマニフェストより

Red Rayonism,1913 Mikhail Larionov
Red Rayonism,1913 Mikhail Larionov
Rayonist Lilies,1913 Natalia Goncharova
Rayonist Lilies,1913 Natalia Goncharova

2.シュプレマティスム c.1915

マレーヴィチが提唱者した抽象画のスタイル。彼は「キュビスム」と「未来派」から強い影響を受けていて、絵画の再現性から離れて抽象的な図形を使うことで「無」を表現した。内面性や精神性を表現するカンディンスキーらの「熱い抽象」に対して、「冷たい抽象」と呼ばれる。

 

・絶対主義

・芸術の自律性を最重視

・対象の無視→よって感覚のみによる純粋な表現

 

Self-Portrait Kazimir Malevich
Self-Portrait Kazimir Malevich
Black Square,1915 Kazimir Malevich
Black Square,1915 Kazimir Malevich

Suprematic Painting,1916 Kazimir Malevich
Suprematic Painting,1916 Kazimir Malevich
エル・リシツキー

エル・リシツキー
1890-1941(満51歳没)

ロシア出身のグラフィックデザイナー、建築家

 

リシツキーは「プロウン」シリーズ(1919-24)を発表し、これらの作品では抽象画の建築的立体表現を目指した。

 シュプレマティズムが示した幾何学的抽象を、現実の生活空間に応用しようとした。

Proun 1 A, Bridge I,1919 El Lissitzky
Proun 1 A, Bridge I,1919 El Lissitzky
Lenin Tribune,1920 El Lissitzky
Lenin Tribune,1920 El Lissitzky
Iron In Clouds', For Strastnoy Boulevard,1925 El Lissitzky
Iron In Clouds', For Strastnoy Boulevard,1925 El Lissitzky
El Lissitzky’s Soviet pavilion at the Pressa exhibition in Cologne, 1928
El Lissitzky’s Soviet pavilion at the Pressa exhibition in Cologne, 1928

3.ロシア構成主義 c.1913-20年代

<構成主義の提唱者>

ウラジミール・タトリンが提唱者。

 

彼は古典主義的な絵画や彫刻をブルジョワ芸術として批判した。鉄やガラスを使った立体的な作品が多いのが特徴。美術や建築だけでなく、写真、映像分野にまで広がったムーブメント。

 

・幾何学

・力動的な美の表現

・実用性

・ユートピア

 

ウラジーミル・タトリン

ウラジーミル・タトリン
1885-1953(満68歳没)

ロシア帝国出身の画家、彫刻家、建築家、デザイナー、舞台美術家

第3インターナショナル記念塔

第3インターナショナル記念塔(案)
1919 ロシア
設計:ウラジーミル・タトリン

 

レンギス(国立出版社レニングラード支部)あらゆる知についての書籍 広告ポスター

レンギス(国立出版社レニングラード支部)あらゆる知についての書籍 広告ポスター,1924
作者:アレクサンドル・ロトチェンコ
by Stefan Leijon

<モンタージュ理論>

1917年の十月革命以前におこった水兵反乱事件を題材にした作品。

 

結末は事実と異なっている。映画の弁証法をつかい、「モンタージュ理論」を展開した。のちにポストモダンの建築家ベルナール・チュミの作品に影響を与えたと言われる。

 

モンタージュ=組み立て(もとは建築用語)

 
映画「戦艦ポチョムキン」オデッサの階段 ,1925 監督脚本:セルゲイ・エイゼンシュテイン
映画「戦艦ポチョムキン」オデッサの階段 ,1925 監督脚本:セルゲイ・エイゼンシュテイン
ルサコフ労働党クラブ

ルサコフ労働党クラブ
1928 ロシア モスクワ
設計:コンスタンティン・メーリニコフ
via wikipedia

メーリニコフ邸

メーリニコフ邸
1929 ロシア モスクワ
設計:コンスタンティン・メーリニコフ
via wikipedia

イワン・レオニドフ

イワン・レオニドフ
1902-1959(満57歳没)
ソ連の建築家、都市計画家

 

生涯一度も建築を建てることがなかった。レム・コールハースが若いころ傾倒した建築家として知られる。

 

1930年代後半からは、スターリン主義体制の批判と抑圧に遭った。

 「レーニン研究所」「マグニトゴルスク都市計画」「重工業省ビル」などの計画案は、後世に大きな影響を与えている。

レーニン研究所(案)

レーニン研究所(案)
1927 モスクワ
設計:イワン・レオニドフ
via thecharnelhouse

<ソーシャル・コンデンサーの体現>

ソーシャル・コンデンサーとは、ロシア革命後の建築家(ロシア構成主義の建築家)が実現しようとした建築理念で、ヒエラルキーのない共産主義的な振る舞いをもたせた建築をいう。

 

具体的には、階級差のない空間をつくるために、プログラムを重ね合わせたり、意図的に動線を交差させるなどの特徴がある。レオニドフが描いた理想的な労働者クラブはその典型であり、ナルコムフィンはその考えを体現したとして、高く評価されている。

 

ナルコムフィン

ナルコムフィン
1929 ロシア モスクワ
設計:モイセイ・ギンズブルグ、ミリニス
via wikipedia

Housing Case Study: Narkomfin Apartments via archinect.com
Housing Case Study: Narkomfin Apartments via archinect.com

影響をうけた建築家たち

ロシア・アヴァンギャルドの考え方は、80年代になってザハ・ハディドやレム・コールハースなどの建築家に影響を与えた。非対称な幾何学的形態を特長とし、彼らの建築はロシア構成主義との類似性が指摘されている。

 

→プログラミング建築

 


ベルナール・チュミ
1944‐
スイス生まれの建築家
by Columbia GSAPP

レム・コールハース
1944-
オランダ生まれの建築家
via wikipedia

ザハ・ハディド
1950-2016(満65歳没)
イラク・バグダード出身のイギリスの建築家
by 準建築人手札網站


ザハのAAスクール卒業制作の絵画タイトルは「Malevich’s Tectonik」

Malevich’s Tektonik London project, 1977
via superarchitects

 

ザハのAAスクール卒業制作の絵画タイトルは「Malevich’s Tectonik」

シュプレマティスムからの影響について語っている。

 

関連書籍

ロシア・アヴァンギャルド』,亀山郁夫,岩波新書,1996
『ロシア・アヴァンギャルド建築』,八束はじめ,INAX出版,1996
『ロシア・アヴァンギャルドのデザイン 未来を夢見るアート ペーパーバック』,解説・監修:海野 弘,パイインターナショナル,2015