有機的建築

有機的建築とは

 自然にならった有機的な造形、敷地や環境と一体になったデザインが特徴で、自然と人間の調和をはかろうとするもの。自然と建築の融合をめざす。

 

機能主義建築への対立的な考え方として定義づけられる。

 

幾何学的な秩序にではなく、生命のあり方に形の根拠を求めようとするもの。

 

 

おもな有機的建築の種類

1. フランク・ロイド・ライトの建築

ライトは師匠であるルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う」という主張を受け継ぎながらも、そこから自分のスタイルを発展させ「形態と機能は一つである」と言い換えて、有機的建築を目指した。「プレーリーハウス」(草原住宅)はその代表作。

 

2. 詩人シェーアバルトの世界観とその影響下にあったドイツ建築

ドイツの詩人、パウル・シェーアバルトの幻想的な文章、スケッチが有機的建築に影響を与えている。散文詩「ガラス建築」(1914)はドイツ表現主義の建築家たち(とくにブルーノ・タウト)にとって最大の文献だった。ユートピア的思想。宇宙、惑星、大地、水晶、光などへの憧れ。

 

彼の造形思想は、有機的建築で知られるドイツの建築家、フーゴー・ヘリングハンス・シャロウンギュンター・ベーニッシュへ受け継がれる。

 

3. フィンランドの建築家 アルヴァ・アールト

アルヴァ・アールトについてはこちら→

 

4.その他各国のオーガニック建築

 

 

1. フランク・ロイド・ライトの建築

<"箱の破壊" 流動的な空間、プレーリースタイル>

ロビー邸はプレーリースタイルの代表的作品。庇が深く張り出し、水平線を強調した立面が特徴。内部空間は、最小限の仕切りで流動的なつくりになっている。

 

ライトは住宅以外の作品では、外に対して閉じたデザインをつくっている。内部のコミュニティを充実させ、一体性をもたせるため。

ロビー邸

ロビー邸
1910 イリノイ シカゴ
設計:フランク・ロイド・ライト
via wikipedia

 


via wttw

<有機的建築の代名詞「落水荘」>

ライトは施主に「滝をただ眺めるだけでなく、滝と共に暮らす」ことを提案した。大自然を打ち負かす傲慢な建築ではなく、共生や調和が感じられるライトの名作。

落水荘(カウフマン邸)

落水荘(カウフマン邸)
1936 ペンシルベニア ミルラン
設計:フランク・ロイド・ライト
via roadtrippers

<ユソニアン住宅>

ライトは、キャリア前期のプレーリー・スタイルと区別して、落水荘以降のキャリア後期の住宅を「ユーソニアン・スタイル」と定義している。

 

これらの住宅は、単純なコンクリートの基礎の上に、簡単に組み立てられるプレハブ合板を使った住宅で、中産階級向けに考えられた。(落水荘はかなり予算がかかっている)

 

<ライトの遺産、タリアセン>

ライトは弟子たちと共に、「タリアセン」という共同生活ができる設計工房を建てた。自然と共に暮らす自給自足を通して、そこから学び、有機的建築を考える下地をつくるような教育を行なっていた。

 

「タリアセン」とは、ライトの先祖の言葉ウェールズ語で"輝く額(のような丘)"という意味。

 

ライトは田舎者であり、それを誇りに思っていて、都会を嫌ったという。そんな背景からうまれたタリアセンは、スタジオとして、また、若い建築家を育てる教育の場として長い間機能しており、彼が亡くなってもその遺産は長く受け継がれている。

タリアセン・イースト

タリアセン・イースト
ウィスコンシン スプリング・グリーン
設計:フランク・ロイド・ライト

360度ガイド付きツアー
Frank Lloyd Wright's Taliesin, Spring Green, Wisconsin ©︎ tourdeforce360

 

タイリアセンには2つの拠点がある。

 

最初に建てられた「タリアセン・イースト」と、ウィスコンシン州の寒さから離れるため、アリゾナ州の砂漠のなかに建てられた「タリアセン・ウェスト」

 

「タリアセン・ウェスト」の完成以後は、毎年2回キャラヴァンを組み、ウィスコンシンとアリゾナ間を大移動した。建物は毎年のように増改築をおこない、実験および作品発表の場にもなっていた。

タリアセン・ウェスト

タリアセン・ウェスト
1937 アリゾナ スコッツデール
設計:フランク・ロイド・ライト
via archidaily


2. 詩人シェーアバルトの世界観とその影響下にあったドイツ建築


パウル・シェーアバルト「ガラスの建築」,1914

ブルーノ・タウトに捧げたとして知られる。

 

 


ブルーノ・タウト「アルプス建築」,1919 via SOCKS

 

シェーアバルト(タウトより17歳年上)のユートピア的思想に影響を受けながら、タウトは実務的な目線も取り入れつつ建築として具現化していった。

 

タウト(1880-1938)は哲学者カント(1724-1804)と同郷(ケーニヒスベルク)

 

フーゴー・へーリング

フーゴー・へーリング
1882-1958
ドイツの建築家

 

フーゴー ・へリングはドイツ表現主義の建築家であり、CIAMの創立メンバーでもあった。

<有機的な機能主義建築>

ガルカウの農場計画を行なっていた時期、ヘリングは建築についての発想を根本的に更新しようとしていており、その考えを実現する最初の機会だった。

 

もともとは農場主の住居も含めた農場全体を計画していたが、実際に建設されたのは納屋、牛小屋、道具小屋だけとなった。

 

特に印象的なのは、納屋のラメラ構造の屋根で、これはヘーリングいわく「目的を達成するための機能的な形態」であるという。この構造じたいは18世紀頃からあったものだが、1920代初期にリヴァイヴァルされた。短い角材を釘打ちでつなぎ合わせて曲面をつくると、推力の作用線に沿って、自然にゴシックアーチのような形状になる。トラス構造を避けることで最大容積を確保でき、空間全体を冬季用の干し草の貯蔵に使える。

 

牛小屋は楕円形のかたちをしているが、ヘーリングが、雌牛を自由にさせるとどんな風に餌を食べるのか建主に聞いたところ、食料のまわりを囲うように輪になって集まると答えたため、このようになった。42頭の雌牛の輪では、中心にスペースが空きすぎてしまうからである。

 

構造は納屋と同じく、生地のままのコンクリートの骨組みと、その間を充填するレンガ、白木が風化して銀灰色になった木造羽目板によって、コントラストが強調されている。

 

こういった特徴は、北ドイツのッ伝統的地方建築に見られる技巧をみせる表現であり、遊びがみてとれる。

ガルカウ農場

ガルカウ農場
1922-25 ドイツ シャルボイツ
設計:フーゴー・へーリング
©︎ Isaiah Kinga on frickr

gut garkau via cargocollective
gut garkau via cargocollective

<機能と表現について>

ヘーリングは単なる効率的な部分以上のものに興味をもっていたが、その理論は「ガルカウ農場」の完成後にエッセイで述べられている。

「機能にしたがう姿勢と表現をもとめる要求を争わせてはならない。そうではなくて、双方を両立させ得るようにすることだ。表現についての着想を生命や創造や運動や自然に結びつけるようにすることだ。なぜなら、機能的形態を創造しようとすることは、自然の道程にしたがうことだからである」。

ヘーリングは個人的な表現には興味は持っておらず、それは建築家がめざすものではないと、はっきり否定している。彼の考えでは、建物が果たさなければいけない、求められている要求によって形状ができあがっているべきであり、その役割にこそ、ふさわしいアイデンティティや独自性が与えられるという考えだった。

 

ヘーリングは、スタイルが先入観となって押し付けられるのを嫌い、周囲の環境からうまれえる建物のアイデンティティを大切にした。内側から外側へ、原理から形態へ、といった考え方。

「われわれは物に頼らなければならないし、物にそれ自身の形体を表さなければならない。形態を組み立てるのではなく、発見しなければならない。」

 

<部分の分節化>

明確に機能をもたせた部分を分節化していく方法は、ゴシック・リヴァイヴァルからの影響とされている。

 

ヘーリングは学生時代に運動の影響を強く受けており、イギリスの建築家オーガスタス・ピュージンの理論と共通しているところを持っている。

「大建築物の外観、内観といえども予定された目的を説明するものでなければならないし、また、それと一致しなければならない」。オーガスタス・ピュージン著『尖塔式すなわち教会建築の正しい原理』

 

<空間の秩序づけ>

1匹の雄牛の空間に優位性を与えることで、計画全体に秩序をもたらしている。雄牛は農場主にとって最も重要な家畜であって、遺伝的優位性を代表している。雄牛と雌牛が同列に扱われる一般的な牛舎はあまりよくないとヘーリングは考えていたようだ。

 

伝統的な農場研究によると、ヘーリングの考え方のような空間に秩序をもたせることは、実際に広く追求されていたもので、配列によって家族のメンバーに序列を与えることは、馬から果樹園にいるハチにまで適用されるものである。

 

<ヘーリングが目指したもの>

彼は、生命との結びつきを取り戻す、反応する建築を目指していた。

 

ヴァイセンホーフで構造を優先させたグロピウスや、プローポーションのシステムなど機能主義の魔術に取り憑かれたコルビジェなどには対抗する理論をもっていた。

 

要素を的確に分節化することは「有機主義の伝統」にとって、もっとも興味関心の集まることであり、建物の特性というものは "役立つこと" を目的とした色々な諸条件によって、理解され得るのだと思っていた。

 

こういった分節化への関心は、現代でもギュンター・ベーニッシュやグラーツ派などの作品の中に生きている。

 

ハンス・シャロウン

ハンス・シャロウン
1893-1972(満79歳没)
ドイツの建築家

 

シャロウンは、有機的建築を主張したフーゴー・へーリングの著書"organic architecture"に影響を受けた。2人は親友の仲だった。

 

ヘーリングの継承者のような存在だったシャロウンの建築スタイルは、合理主義的、定型、形式から離れ、その場に合わせた機能的建築をつくる方向へシフトしていき、20世紀の前半部を通じてドイツの建築文化に今もなお、影響を与え続けている。

 

1919年、ブルーノ・タウトらの表現主義建築家グループの往復書簡「ガラスの鎖(Glaserne Kette)」に参加。ガラスの鎖とは、タウトが「無名建築家展,1919」から選んだメンバー同士の廻文サークル。

 

シャロウンをはじめとする有機主義者は、ゲシュタルト理論の下で客観性がないと批判された。

ロミオとジュリエット(高層集合住宅)

ロミオとジュリエット(高層集合住宅)
1959 ドイツ シュトゥットガルト ツーフェンハウゼン
設計:ハンス・シャロウン
via wikipedia


via arquiscopio

 

ベルリン・フィルハーモニー

ベルリン・フィルハーモニー
1963 ドイツ ベルリン
設計:ハンス・シャロウン
©︎ Photographs of Architecture via archidaily

「真ん中にある音楽」ステージはホールの中心、交響楽団が、様々に調節の利く傾斜した座席に囲まれている空間。

 

ギュンター・ベーニッシュ

ギュンター・ベーニッシュ
1922-2010 (aged 88)
ドイツの建築家

ミュンヘン・オリンピアシュタディオン

ミュンヘン・オリンピアシュタディオン
1972 ドイツ ミュンヘン
設計:ギュンター・ベーニッシュ、フライ・オットー


ドイツ郵便博物館
1990 ドイツ フランクフルト
設計:ギュンター・ベーニッシュ
via behnisch-partner

 


Olympic archery range
1992 スペイン バルセロナ
設計:カルメ・ピノス、エンリック・ミラージェス
via hicarquitectura

 

Olympic Archery Range / Enric Miralles & Carme Pinos Courtesy of the Architects
Olympic Archery Range / Enric Miralles & Carme Pinos Courtesy of the Architects
UFA映画館

UFA映画館
1993-98 ドイツ ドレスデン
設計:コープ・ヒンメルブラウ
via coop-himmelblau

脱構築主義でくくられる建築家。ディコンストラクションはこちら→

 

Pavillon 21 MINI Opera Space

Pavillon 21 MINI Opera Space
2010 ドイツ ミュンヘン
設計:コープ・ヒンメルブラウ
via coop-himmelblau

 

 

 

4. その他各国のオーガニック建築

石の教会・内村鑑三記念堂

石の教会・内村鑑三記念堂
1988 長野
設計:ケンドリック・ケロッグ
via wikipedia

 

Roman Catholic church

Roman Catholic church
1992 ハンガリー バクシュ
設計:イムレ・マコヴェッツ

 

ログナー・バート・ブルマウ

ログナー・バート・ブルマウ
1997 オーストリア シュタイアーマルク州ブルマウ
設計:フンデルトヴァッサー
vai wikipedia

 

 

関連書籍

『モダニズム建築―その多様な冒険と創造』,ピーター ブランデル‐ジョーンズ(著),2006

『有機的建築―オーガニックアーキテクチャー』,フランク・ロイド ライト (著), Frank Lloyd Wright (原著), 三輪 直美 (翻訳),2009

『永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界』,パウル シェーアバルト (著), Paul Scheerbart (原著), 種村 季弘 (翻訳),作品社,1994

『フンデルトヴァッサー建築 (ジャンボシリーズ)』,フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (著),タッシェン,2003