ファシズム建築とは
第2次世界大戦中のイタリア、ドイツのファシズム政権によって計画された建築のこと。
全体主義を達成するため、民衆の意思をまとめる「舞台装置」として建築はフル活用された。
「国民国家」という人為的に人々を一つにまとめ上げるシステムは「伝統」と親和性が高い。権力の象徴としても効果的に機能する。
国べつの特徴
1. イタリア 合理主義
ムッソリーニの政権下で建てられた建築様式で、古典主義の伝統を単純化しつつ、モダニズムによせたデザインが多い。→「グルッポ7」
2. ドイツ ナチスの建築
ナチス政権のもとで建てられた建築は、ヒトラーによって建築統制がおこなわれた。彼は古代ローマ帝国への憧れをもちながら、イタリアのファシズムにも心酔していて、それらをモデルにしながら都市計画をおこなった。様式は単純化した古典主義で、国家権力を誇示するような威圧的な建築が建てられた。
この時代の建築含め、特に芸術関連での自由な表現は認められず、ナチスは権力によって没収したアート作品を集めて「頽廃芸術展」を開くほどだった。
3. ソ連 スターリン様式
スターリン政権時代のソビエト連邦で多く建てられた様式。超高層ビルを建て、モスクワをNYのマンハッタンのようにするつもりだったという。社会主義の発展をアピールし、それを摩天楼に象徴させようとした。キッチュ。
1.イタリア合理主義
<イタリアにモダニズムの美学を持ち込んだ建築家>
ジュゼッペ・テラーニは、イタリア合理主義を主導した「グルッポ7」の中心人物。
インターナショナル・スタイルやドイツのモダニズム建築に影響を受け、それらをイタリアに持ち込もうとした。彼の建築には計算された合理主義に基づく要素と、感性による表現的な要素が共存している。
「合理主義は、私たちの建築にとってはその一要素にしか過ぎ無い。合理主義は、"建築"に至る過程であって、"建築"の到達すべき目標ではないのだ」
ジュゼッペ・テラーニ
ジュゼッペ・テラーニ
1904-1943(39歳没)
イタリアの建築家、都市計画家
カサ・デル・ファッショ
1936 イタリア コモ
設計:ジュゼッペ・テラーニ
© Guillermo Hevia García
EUR(エウル地区)
<ローマ万国のための新都心>
EURとは、ローマ万国博覧会(1942)開催のために計画された新都心の名まえ。
Esposizione Universale di Roma(ローマ万博)の頭文字をとったものに由来する。計画はされたものの、万博の開催は第二次世界大戦の戦況悪化により中止された。戦費がふくらみ建設費用が足りなくなったらしい。工事の中断や頓挫を経て、戦後に再整備された。
現在では、オフィス街、緑化都市、商業都市、高級住宅地区として知られている。
マルチェロ・ピアチェンティーニ
1881-1960
ローマ出身の建築家、都市計画家
マルチェロ・ピアチェンティーニは、1937-42年にかけて万国博覧会 (EUR) の全体計画を行なった人物。ムッソリーニと距離が近かった。
イタリア文明宮 Palazzo della Civilta’ Italiana
1943 イタリア ローマ エウル
設計:Giovanni Guerrini, Ernesto Bruno La Padula, Mario Romano
via wikipedia
Palazzo dei Congressi
1954 イタリア ローマ エウル
設計:アダルベルト・リベラ
by Bruno
2.ドイツ ナチスの建築
<ナチスが目指した時間の超越>
ドイツの建築では、権力をあらわすような神殿のデザイン、崇高性をあらわす高い党が記号として使われた。新古典主義と、モダニズムが複雑に混じり合ったものが多い。
ヒトラーと彼のお気に入りの建築家アルベルト・シュペーアは、ナチスの建築や都市構成について、廃墟理論を考えていた。というのも、彼らはナチスが未来1000年続くと考えていたため、自分たちがつくりあげた世界が子孫として永遠にこの世に残ると勝手に夢想した。その象徴としてのモチーフが廃墟だった。崇高性を感じさせる廃墟理論は、全体主義と親和性が高かった。
さらにナチスは時間を支配し、また時間そのものを建築するようなニュアンスで計画を行なった。永遠性の主張ともとれる。
アルベルト・シュペーア
1905-1981(満76歳没)
ドイツの建築家
世界首都ゲルマニア
Modell der Neugestaltung Berlins "Germania" ,1933
設計:アドルフ・ヒトラー,アルベルト・シュペーア
via wikipedia
Das Olympia-Stadion in Berlin
1936 ドイツ ベルリン
設計:ヴェルマー・マルヒ
via wikipedia
Nazi party rally grounds (Zeppelinfeld)
1937 ドイツ ニュルンベルク
設計:アルベルト・シュペーア
<頽廃芸術展,1937>
強烈なアンチモダニズム的思想を持つ、芸術展覧会。1937年、ミュンヘンで開かれた。
完全にプロパガンダ的な展覧会で、政治的、人種的なイデオロギーを文化芸術作品を通して見せていくというのが目的。
いかにドイツの芸術が純粋であるかを表現する(アーリア人信仰)
宣伝大臣だったゲッベルス、彼がいう頽廃芸術というのは何かというと、まずドイツの心を侮辱するもの、そして自然の形を破壊するもの(身体をデフォルメした絵画表現など)、単なるテクニカルスキルの不在的表現であるもの、などをさしそれらを全否定した。
一方ナチスが認めるドイツ的な芸術とは何かというと、超ナショナリズムの心をもち、スタイル的には伝統的、自然のフォルム、新古典主義的な表現のものをさす。ナチスが認めるそれらの作品は、頽廃芸術展とは正対称な存在として、「大ドイツ展」にて展示された。
頽廃芸術展はかなりの人気で、ミュンヘンだけでも200万人、大ドイツ展と比べて5倍近い来場者を集めた。他の数都市をツアリングし、歴史上もっとも観客動員数の多いモダニズムアートの展覧会とされている。
<独裁政権が嫌った芸術スタイル>
肉体の変形、デフォルメした表現は絶対的に否定された。
また、多くのモダニストアーティストは個人を大事にしてきたため、全体主義の政権とは非常に相性が悪い。よって個人のスタイルやビジョンは受け入れられない。主観性、個人の内面的な表現などは徹底的に否定された。
ファシスト政権は、群集を一つにまとめ上げ先導することに注視し、それを阻害する可能性のあるものは徹底的に排除した。
<ナチスが取り締まった芸術運動>
・表現主義 「橋」派、「青騎士」派など
・ダダイズム
・バウハウス
・新即物主義の一部
・その他 シャガール、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソ、ムンクなど
<パリ国際展,1937>
各国のパビリオンを通して、ここではある種の文化戦争のような構図が見て取れる。
(左ドイツ館、右ソビエト館)2国の対立が建築に象徴されている。
<スペイン内戦 ,1936-39>
バックアップとして世界各国が参加したため、第二次世界大戦の前哨戦と言われる。ヨーロッパで最も悲惨な内戦と言われ、およそ50万人が死亡した。
・反乱軍側:ドイツ、イタリア
・政府側:ソ連、国際義勇軍
(不干渉:イギリス、フランス、その他各国)
ここでファシズム諸国の協力体制がうまれる。
<ゲルニカが象徴するもの>
スペイン バスク地方のゲルニカという街をドイツが無差別爆撃した。
それに対する怒りの表現として、ピカソはパリ万博で展示する壁画の題材に選び、6週間かけてゲルニカを製作する。ピカソは、反ファシストであり、共和国政府を支持していた。フランコを風刺する詩なども製作している。
ゲルニカは、ピカソの集大成的な作品であり、キュビズムやシュルレアリスムなどのスタイルが織り混ざっている。根底には強い政治的意図があることから、反戦やレジスタンスの象徴として後世でもよく語られる。
ゲルニカが世間に示したものはなんだったのか、それは、伝統的な社会主義リアリズムや新古典主義的なアートしか政治性を持てない、そういった窮屈な表現に対する反抗。
モダニズムアートが担う公共性、可能性を強く訴えたという意味で、とても重要な作品。
この作品にはこんなエピソードが残っている。ゲルニカが展示されたパリの国際展(1937)スペイン館で、とあるナチスの将校がピカソに向かって「これはあなたが描いたのか?」と聞くと、「いいえ、あなたが描きました」と答えたという。
3.ソ連 スターリン様式
Palace of Soviets perspectice
1934 モスクワ
設計:ボリス・イオファン
モスクワ川のそばにあるこの場所は、地盤が非常に緩く、宮殿を建設することができなかった。何度か建設計画は持ち上がったが、最終的に頓挫した。
共産主義国家への影響
スターリン様式は、第二次世界大戦後にソ連の衛星国となった「共産主義国家」で多く引用された。
(旧東ドイツの首都ベルリン、ポーランドのワルシャワ、中国の北京、北朝鮮の平壌、モンゴルのウランバートルなど)
ワルシャワ文化科学宮殿
1955 ポーランド ワルシャワ
設計:レフ・ルードネフ
via wikipedia
関連書籍
『建築家ムッソリーニ―独裁者が夢見たファシズムの都市』パオロ ニコローゾ (著), Paolo Nicoloso (原著), 桑木野 幸司 (翻訳),白水社,2010
『夢と魅惑の全体主義』,井上章一,文春新書,2006
『時代(ファシズム)を駆けぬけた建築』,ジュゼッペ・テラーニ,INAX出版,1998
『ジュゼッペ・テラーニ カサ・デル・ファッショ1932-36 アントニオ・サンテリア幼稚園1936-37 [GAグロ-バル・ア-キテクチュア No.74]』,ジュゼッペ・テラーニ (著), 二川 幸夫 (著), 細谷 巖 (編集),その他
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匿名希望 (水曜日, 18 9月 2024 23:35)
権威性と建築との関係を同時代のファシズム建築で比べることで、理解し易く非常に面白かったです。
良いまとめでした