ドイツ工作連盟とは
1907年、建築家のヘルマン・ムテジウスが、芸術家や職人を集めて、ミュンヘンで結成した団体。
ベーレンスは、企業と関係して仕事をしていくパターンを開拓していった。
運動は1933年、ナチスの制圧によりいったん解散。1949年に再結成される。
何をめざしたか
芸術家、産業界の企業家、職人の協力を通して、産業製品を発達させること
イギリスやフランスに比べて工業化が遅れていたドイツは、芸術と技術を統合させることで、自国の発展を試みた。
インダストリアルデザインの始まりといえる。
<同時代の運動との違い>
この運動は同業者同士の組合というよりも、共通のイデオロギーのもとに集まり、その達成を目的に活動した団体であった。この性格はモダニズム建築にみられる特徴のひとつで、先駆的な活動であったと評価されている。
また、国の政策と密接な関わりがあったことから、ほとんどのドイツの近代建築家が運動に影響を受けた。
中心人物
ヘルマン・ムテジウス
1861-1927
ドイツの建築家
プロイセン政府の建築家だったヘルマン・ムテジウスは、1896から1903年にかけて、イギリスにドイツ大使館文化担当官として滞在した。住宅を中心に研究をしながら、アーツ・アンド・クラフツ運動から影響を受けたムテジウスは、その運動の成果に学び、アレンジを加えてドイツに持ち込んだ。
中世主義の美意識と、機械生産で可能なことをうまく融合し、実用性を追求した人物。
<創設メンバー>
ペーター・ベーレンス、ヨゼフ・ホフマン、ヨーゼフ・オルブリッヒ、ブルーノ・タウト、グロピウスら建築家のほか、実業家や芸術家、デザイナーらが参加した。
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの協力も忘れてはならない。
<思想の対立>
のちに「規格化」を推進するムテジウスと、「芸術家の個性や表現」を擁護するアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデとの間で対立が起こり、結局ヴェルデが追放されてしまう。
ドイツ工作連盟の重要な活動2つ
1. 1914年「ドイツ工作連盟展」
2. 1927年「ヴァイセンホーフ・ジートルング」実験住宅モデルの展示
ドイツ工作連盟が主催した、住宅モデルの展示場。世界各国から近代建築が招かれ、最新スタイルの住宅群が建てられた。テーマは「住宅の近代化」
ジードルング(Siedlung)とは、ドイツ語で集落をあらわす。
1. 1914年「ドイツ工作連盟展」
ドイツ工作連盟展の劇場
1914 ドイツ ケルン
設計:アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ
ガラスのパビリオン
1914 ドイツ ケルン
設計:ブルーノ・タウト
ドイツ表現主義の先駆的作品。壁面はガラスブロック、多面体ドームにはカラーガラスをはめ込んでいる。
文学者で「最初の表現主義者」と言われるパウル・シェーアバルトは、1914年に『ガラス建築』という本を出版し、それはブルーノ・タウトに捧げられたものだと語られている。そのアンサーとして、タウトはこの建築をつくり、シェーアバルトに捧げた。
ドームにはシェアバルトの詩が刻まれている。
「ガラスは我々に新時代をもたらす。煉瓦文化は我々をただ悲しませる」
ブルーノ・タウト
1880-1938(満58歳没)
ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家
<ブルーノ・タウトの活動>
第一次大戦後、敗戦国だったドイツは、賠償金返済のために必死に復興をめざした。急速に工業化が進み、大都市には労働者が集まるが、その労働環境は劣悪で、ほぼ監獄のようなものだった。
タウトは労働者の味方になり、社会主義建築家として認められ、1925年から31年までの7年間で、ベルリンに12,000戸もの住宅を建てた。施主はすべて公的な補助を受けた民間の住宅建設組合。それらは日本の住宅公団のモデルにもなっている。
<日本文化の賞賛>
タウトは政治的な立場からナチス政権に睨まれ、世界各国へ亡命し活動していた時期がある。
その最中、「日本インターナショナル建築会」から招聘を受け1933年に来日、およそ3年半滞在した。ナチス政権とのからみから、日本では思い切り能力を発揮することはできなかったが、「桂離宮」を賞賛し世界に広めた点において、後世に残る重要な実績を残した。
2. 1927年「ヴァイセンホーフ・ジートルング」実験住宅モデルの展示
ヴァイセンホーフ・ジートルング
1927 ドイツ シュツットガルト
via wikipedia
設計:ル・コルビュジエ(スイス→フランス)
via wikipedia
設計:ハンス・シャロウン(ドイツ)
via wikipedia
設計:J.J.P.アウト(オランダ)
via wikipedia
関連書籍
『ユーゲントシュティルからドイツ工作連盟へ ―世紀転換期ドイツの美術工芸工房と教育』,針貝綾(著),2017
『忘れられた日本』,ブルーノ・タウト著,篠田英雄 編訳,中公文庫,2007
『ブルーノ・タウト 桂離宮とユートピア建築』,
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