ブルータリズムとは
1950年代にあらわれた建築スタイル。
単純な平面と直線の組合せに、コンクリート、ガラス、レンガ、鉄などの素材をそのまま使用するもの。冷たく粗い(brutal)印象から、野獣主義ともいう。
この言葉は、アール・ブリュット(生の芸術)に影響を受けた、批評家ピーター・レイナー・バーナム(もと建築家)と建築家アリソン&ピーター・スミッソンによって理論化された。
<戦後の時代背景>
第二次世界大戦後、たくさんの建物が崩壊したヨーロッパでは、スピーディーでコストのかからない街の再建方法が求められた。
イギリスでは住宅供給が緊急の課題となり、政府は年間30万戸の新築住宅を準備する計画を掲げる。この目標達成するために、戦時中の軍事兵器を生産する過程から学んだプレハブ技術が用いられ、またコルビジェにならって、現場で型枠にコンクリートを流し込む工法が使われた。(コルビジェのコンクリート時代1945-65)
<ブルータリズムとコンクリート>
コルビジェは、コンクリートのもつ粗く自然な風合いを好み、メンテナンスがほとんど必要なく、素材としても安価なことから採用していた。
一方、コルビジェを尊敬するイギリスの建築家たちは、予算に余裕があるときでも、あえてコンクリートを選び、コンクリートという素材に思想をこめることで、一つのスタイルとして確立させた。
素材の使用は、単なる予算の関係や好みの問題で選ばれる場合と、ブルータリズムのように、一つのスタイルとして主義主張を表現する手段として使われる場合とがある。いつの時代も共通した考え方。
ブルータリズムはアルヴァ・アールトやルイス・カーンからも鼓舞されていた。
各芸術分野の橋渡しとして設立されたIG
第二次世界大戦後、戦後のダメージが少なかったアメリカに経済活動の軸がシフトし、50年代の後半、大衆的な消費社会ができあがった。
それに負けじとイギリスはMoMAをモデルに芸術アートの複合センター(ICA)を設立するなど、芸術分野の発展に力を入れ、のちに世界中で流行するポップアートの種をつくる。
最初にポップアートが盛んになったのはロンドンだった。
<イギリス、ポップアートの種>
IG:インディペンデント・グループ 1956
多種多様な美術研究グループで、さまざまなジャンルのアーティストが参加し、前衛的なレクチャーシリーズや展覧会を開催した。それらは議論を呼び起こす活動であったことから、戦後のポップアートの源流をつくった重要なグループとして語られる。アリソン&ピーター・スミッソン夫妻も深く関わった。
主要人物:アリソン&ピーター・スミッソン夫妻、レイナー・バンハム、リチャード・ハミルトン、エドゥアルド・パオロッツィ
<戦後イギリスのアート界隈の年表>
1946 ICA設立
1952-55 ブリティッシュ・ポップの時代
1953 「Parallel of Life and Art」展
1953 CIAM結成 ※ブルータリズムの定義
1954 ハンスタントン校
1956 「This Is Tomorrow」展
1963 「Living City」展
1966 レイナー・バンハム著「New Brutalism」出版
<対比的な展示>
「This Is Tomorrow」展では、2つの対極的な"明日"のビジョンが展示された。
・グループ6(スミッソン夫妻、パウロッツィ、ヘンダーソン)
スミッソン夫妻は、古い木でできたパビリオンを設計し、それらはプラスチックの屋根、アルミの壁、砂の床で構成されていた。建築の単純な形態であるシェルターを引用。
スミッソン夫妻のつくった箱には、人間の最小限の活動を表すオブジェクトが入れられた。ディストピア的で軍事的、ポスト核戦争時代の反映。
・グループ2(リチャード・ハミルトン、ジョン・ボエルカー、ジョン・マクヘイル)
資本主義空間で生きている現代人の身体を表現。遊園地的な空間。メディアの時代、消費社会の反映。
ポスター、カタログのためにつくったもの。IGの活動を象徴する作品。
<CIAMの解散、チームXの設立へ 1956>
1956年、CIAMは第10回で解散することになったが、それを企画したのは、新しいグループ「チームX」のリーダーであるスミッソン夫妻だった。
CIAMのアテネ憲章は、コルビジェによる、機能重視でモータリゼーションを背景につくられた都市計画だったが、それではうまくいかず、スミッソン夫妻は新しく人を中心にした都市計画を考案する。
「house-street-district-town」(住まい-通り-地域-まち)
この背景には、戦後のヨーロッパで流行した実存主義の考え方がある。
ハンスタントン 総合中学校
1954 イギリス ノフォーク
設計:アリソン&ピーター・スミッソン夫妻
via C20
レスター大学 工学部棟
1959 イングランド レスター
設計:ジェームズ・スターリング、ゴーワン
via wikipedia
<アーキグラムの活動>
彼らは成長する都市とシステムに着目し、それをドローイングで表現した。
1960年代は、世界的に都市の未来像をテーマにした動きが多く、未来の都市案が多く発表された。日本でも丹下健三の「東京計画1960」や「メタボリズム」などがそれにあたる。
ヘイワード・ギャラリー
1968 ロンドン サウスバンク
設計:Norman Engleback Ron Herron and Warren Chalk
via wikipedia
20世紀最後の巨匠
ルイス・I・カーン
1901-1974(満73歳没)
エストニア系アメリカ人建築家
秩序や調和、慣習を大切にした。建物がどうありたいか、神聖的な価値観、形式主義者、気候などの配慮にやや欠ける。order form design
イエール大学 アートギャラリー
1953 コネチカット ニューヘイブン
設計:ルイス・カーン
via archidaily
「奉仕する空間」階段等など付属的な空間は平板な床版構造
「奉仕される空間」ギャラリーに対してはダイアグリッドの床版を設けてある
ソーク研究所
1966 カリフォルニア サンディエゴ ラホヤ
設計:ルイス・カーン
via wikipedia
フィッシャー邸
1967 ペンシルバニア ハットボロ
設計:ルイス・カーン
via casafisheriala
関連書籍
『Alison and Peter Smithson: The Space Between』,Alison Smithson (著), Peter Smithson (著), Simon J. B. Smithson (寄稿), & 1 その他,Walther Konig,2017
『現代建築の創造―CIAM崩壊以後 (1971年)』,黒川 紀章 (編集),彰国社,1971
『Richard Hamilton (Tate Modern, London: Exhibition Catalogues) 』,Mark Godfrey (編集), Paul Schimmel (編集), Vicente Todoli (編集),Tate,2015
『Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974』,斎藤 裕 (著),TOTO出版,2003
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