20世紀初頭の芸術運動
20世紀のはじめ、近代社会が到来するとともに、今までの価値観を覆す新しい芸術運動が各国、各分野で起こった。
表現スタイルはそれぞれあったが、根底にあるのは"古い伝統を乗り越えて新しいものを生み出そう"という考え。
<芸術運動を通して社会改革をめざす>
さらに大きな特徴としては、芸術家たちが社会に対して自らの考えを主張するようになったこと。同じ主義主張を持つ者同士が集まり、芸術運動を通して社会に何かを訴えていく、というフォーマットが固まってくるのもこの頃。
(起源はアーツ・アンド・クラフツ運動にある)
それによって、〜宣言というある種の宣言ブームも起こった。
フォービズム c.1905-10
国:フランス
特徴:色彩革命、主観的感覚の表現、形の単純化、平面的
先導者は最年長のアンリ・マティス。
彼らは、ゴッホやゴーギャンなど、象徴主義の作品から影響を受け、対象そのものを描くより画家の内面を表現しようとした。この考えはのちに表現主義へつながる。
キュビズム c.1907-17
国:フランス
特徴:形の革命、幾何学的な形の再構成、多視点、奥行きのある開かれた空間
出発点は、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を発表した1907年。彼は、セザンヌの画面構成と、アフリカの彫刻、アンリ・ルソーの絵画に刺激を受け、「分析的キュビズム」という手法を確立した。フォービズムの正反対の表現として括られる。
ピカソとブラックが展開したPapier collé(パピエ・コレ)というコラージュ手法は、のちのダダイズム、シュルレアリスムに影響を与えた。
<キュビズムの建築>
パリから始まったキュビスムが、建築や工芸の分野にまで及んだ唯一の国がチェコだった。
コヴァジョヴィチ邸
1913 チェコ プラハ
設計:ホホル
via aegis-education
<ピカソとコルビジェ>
コルビジェは主観主義に陥ったキュビズムを批判するかたちで、新しい絵画理論「ピュリスム」(1920-25)を提唱した。キュビスムをさらに純化し、装飾性・感情性を排した表現形態を追求するもの。
総合芸術誌「レスプリ・ヌーヴォー」(1918)の創刊をきっかけに、コルビュジエは画家のオザンフォンと協働し、自分たちをピュリストとよんだ。
ロンシャンの礼拝堂
1955 フランス
設計:ル・コルビュジエ
G.Vielle, la chapelle Notre-Dame du Haut, Ronchamp © ADAGP, 2013, Paris
via collinenotredameduhaut
ル・コルビュジエ・センター
1967 スイス チューリッヒ
設計:ル・コルビュジエ
via wikipedia
ドイツ表現主義
国:ドイツ
特徴:内面表現、精神性、激しい色彩、誇張された形態
表現主義(エクスプレッショニズム)↔︎印象主義(インプレッショニズム)二つは対概念とされる。
内面を表現する絵画の動きは、ポスト印象派のゴッホやゴーギャンの影響を受けて、ゲルマン的な精神性を重んじる国ドイツで開花した。
先駆者は、世紀末のベルリンで活躍していた画家エドヴァルド・ムンク(ノルウェー出身)。
<ブリュッケ> c.1905-13
ドレスデン中心。
ブリュッケは、未来への架け橋となるようにと名付けられた。旧来のアカデミック芸術に対する反抗といった面はあるが、共通する表現様式などは特にもっていなかった。傾向としては、学生運動、人間性の快復、反経済成長といった特徴がある。
<青騎士> c.1911-13
ミュンヘン中心。
ロシア出身のカンディンスキーはドイツに移り住み、ドイツ表現主義の画家フランツ・マルクたちと「青騎士」というグループを組んだ。雑誌「青騎士」の創刊がきっかけ。
のちにカンディスキーは、色彩と線の組み合わせからなる抽象絵画をの創始者のひとりとなる。
<建築では>
建築分野では、新材料のガラスをテーマとして、幻想的な造形がみられた。
コンクリートの可塑性を活かした、自由な曲面なども特徴。第一次世界大戦敗に敗戦したドイツでは、経済状態が悪かったため仕事の依頼は少なく計画が頓挫することも多かった。
1933年にナチス政権が誕生すると「頽廃芸術」として非合法化され、表現の自由は奪われた。
同じような動きはオランダでもおこっており、アムステルダム派と呼ばれた。
ベルリン大劇場
1919 1945破壊 ドイツ ベルリン
設計:ハンス・ペルツィヒ
via graphicine
アインシュタイン塔
1921 ドイツ ポツダム
設計:エーリッヒ・メンデルゾーン
via wikipedia
コンクリートの可塑性を利用した造形を試したが、当時の技術では追いつかず、実際にはレンガ造モルタル仕上げとなってしまった。後世になってつくり直された。
チリハウス
1924 ドイツ ハンブルク
設計:フリッツ・へーガー
via wikipedia
北ドイツ表現主義を代表する建物。チリ硝石の輸入で財を成したヘンリー・スローマンが建築主だったのでこの名となった。船をイメージしたデザイン。
イタリア未来派 c.1909-15
特徴:ダイナミズムとスピード感、連続した動きの表現、戦争賛美、反歴史主義、ファシズムの肯定
イタリアの詩人マリネッティの「未来派宣言」(1909)からはじまる。
今までの社会構造や文化を否定し、スピードと運きに関する美学を掲げ、あらゆる芸術分野で主流となった運動。建築の実作は少ないが、ドローイングは大きな影響力をもった。
ジョルジュ・ソレルの「暴力論」(1908)に影響を受けており、スピード、暴力、戦争、などあらゆる破壊的な行動を「美」として讃えた。
新都市 高層ビル(案)
1914 イタリア
設計:アントニオ・サンテリア
オランダ近代建築の父
ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
1856-1934
オランダを代表する建築家、都市計画家
アムステルダム生まれ、オランダ近代建築の父。
アムステルダム証券取引所
1903 オランダ アムステルダム
設計:ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
via wikipedia
google map
https://beursvanberlage.com/nl/virtuele-rondleiding-door-de-beurs
セント・ヒューベルトゥス狩猟館 Jachthuis St. Hubertus
1914–1920 オランダ ヘルダーラント州 エーデ(デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内)
設計:ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
via wikipedia
デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園(De Hoge Veluwe)はオランダ最大級の自然保護区。
広大な敷地内には、クレラー・ミュラー美術館、屋外彫刻展示場(ベールデンタイン)、ビジターセンターとミュゼオンダー(地下博物館)がある。
デン・ハーグ市美術館 Gemeentemuseum
1931-35 オランダ デン・ハーグ
設計:ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
via braaksma-roos
via braaksma-roos
デ・ステイル(ロッテルダム派) c.1917
特徴:合理主義美学、原色、抽象、垂直水平、装飾の否定、テオドール・リップス「美学」が先駆け
1917年、雑誌「デ・ステイル」創刊をきっかけにおこった抽象芸術の運動。主要人物はピエト・モンドリアンとテオ・ファン・ドゥースブルフ(リーダー)。
理論的中心人物となったのがモンドリアンで、基本的な考え方は彼による「新造形主義(ネオ・プラスティシズム)」によるもの。物質世界の構成要素を極限までつきつめ、水平垂直の構図、3原色とモノトーンカラーを使った抽象表現をおこなった。その理論は、建築家で画家のテオ・ファン・ドゥースブルフらによって、三次元の建築にも展開されていった。
このグループの活動は、抽象性、哲学性、理論性、建築と絵画のコラボレーション、バウハウスへの大きな影響、ダダと構成主義へのつながりなど、国や芸術分野をこえて、後世に多大な影響を与えたと評価されている。
ピエト・モンドリアン
1872-1944(71歳)
オランダ出身の画家
テオ・ファン・ドゥースブルフ
1883-1931(47歳)
オランダの画家、建築家、美術家
<その他メンバー>
バート・ファン・デル・レック 1876-1958 画家、デザイナー
フィルモス・フサール 1884-1960 画家、デザイナー
ジョルジュ・ファントンゲルロー 1886-1965 彫刻家、画家
ロバート・ファント・ホッフ 1887-1979 建築家
ヘリット・リートフェルト 1888-1964 家具デザイナー、建築家
J.J.P.アウト 1890-1963 建築家
ヤン・ヴィルス 1891-1972 建築家
コーネリス・ファン・エーステレン 1897-1981 都市計画家、建築家
<思想の対立>
リーダーだったドゥースブルフは、絵画よりも建築を重視し、逆にモンドリアンは、建築よりも絵画の可能性を追求した。
考え方の違いから、1925年にモンドリアンはグループをぬける。
モンドリアンは、理論を通じて絵画を深く追求していった人物であり、理論と実践を融合させ、その成果を形(絵画)に残してきた。その理論の背後には、当時隆盛していた神智学やヘーゲルの弁証法的な物の考え方がある。
彼は理論家として「デ・ステイル」を引っ張ったが、"建築"と"絵画"という異なる性質をもった表現分野のコラボレーションは、非常に難しいと感じていた。とういうのも、建築という分野においては、ヒエラルキーというものを完全に廃止することはできないのでないか、また、モンドリアンの絵画のなかで、全て除去しようとしてきた、中心性、パティキュラリティー、ヒエラルキーという概念は、"建築"という分野においてはコアにあり、重要視される要素であるからと考えていた。
モンドリアンによると、建築は解剖学的であり、身体的な性格を強くもっていて、"柱、梁、屋根"という根本にある基本美学を捨てきれないとしている。
建築とのコラボレーションに興味を抱いてはいたが、"建築"では完全抽象にはいけない。
モンドリアンにとって、"絵画"というものが、もっとも妥協せずに理論を追求できるフィールドだった。かなり強くキャンバスにコミットした人。
Villa Henny
1916 オランダ ユトレヒト
設計:ロバート・ファント・ホッフ
Photographer: unknown.NAI Collection, HOFF Archive p8 via NAI
シュレッダー邸
1925 オランダ ユトレヒト
設計:ヘンリット・リートフェルト
via wikipedia
ファン・ネレ煙草工場
1931 オランダ ロッテルダム
設計:ファン・デル・フルフト=ブリンクマン設計事務所
via wikipedia
オランダ表現主義(アムステルダム派)
特徴:ロマン主義、戦前のロマンティック・ナショナリズムの継承
一方アムステルダムでは、オランダの伝統的な素材(レンガ)を使った表現をするグループがいた。彼らは生活と美術の統合を目指していて、戦前のナショナル・ロマンティシジムを受け継いでいる。
マイケル・デ・クラークやP・L・クラメルらが中心。ドイツ表現主義の流れの中で語られることが多い。
海軍協会ビル The Shipping House (Dutch: Scheepvaarthuis)
1916 オランダ アムステルダム
設計:Jo van der メイ
via wikipedia
Massive stained-glass roof with a map of the globe
via wikipedia
アムステルダム派の最初の建築物で、代表作。当時メイの事務所にいたクラメルとデ・クラークの力が大きい作品と言われている。伝統材料の赤レンガをふんだんに使い、海に関わるさまざまな装飾をほどこしている。
Het Schip エイヘンハールトの集合住宅
1920 オランダ アムステルダム
設計:マイケル・デ・クラーク
via wikipedia
伝統材料のレンガが使われた、低所得者向けの集合住宅102戸、郵便局、小学校、集会室などが併設している。
関連書籍
『すぐわかる20世紀の美術―フォーヴィスムからコンセプチュアル・アートまで』,千足伸行,東京美術,2008
『もっと知りたいピカソ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)』, 松田 健児,東京美術,2006
『ドイツ表現主義の建築』SD編集部,鹿島出版会,1989
『抽象への意志―モンドリアンと<デ・ステイル>』,ハンス・L.C.ヤッフェ (著), 赤根和生 (著),朝日出版社,1984
『新しい造形―新造形主義 (バウハウス叢書)』,ピエト・モンドリアン,中央公論美術出版,1991
『新しい造形芸術の基礎概念 (バウハウス叢書)』,テオ・ファン・ドゥースブルフ,中央公論美術出版,1993
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